あの日

早いものであれから四年。
この時期になると、色々思い出す。
震源地から遠く離れた関東でこうなのだから、被災地の方々の思いはいかばかりか。
しかも未だ仮設住宅にお住まいの方々も多い。
それでも一日一日をしっかりと生きている方々に頭が下がる。
以前にログとして残しておいたエントリを残しておこうと思った。本文自体は震災の一ヶ月後に書いたもの。細かい訂正や追加もした。

まずは、この度の震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を願っています。
地震が起きて一ヶ月あまり。言葉足らずの稚拙な文章になるとは思うけど、その日の自分の行動や今回の地震で感じた様々な事柄を、今後への対策を考慮する際の情報・ログとして残そうと思った。地震関連のエントリは必ず書こうとは思っていたんだけど、ずいぶんと長くかかってしまった。でも多分、落ち着くまでにそれだけの時間が必要だったのかもしれないとも思う。かなりダラダラと長くなります。

3月11日午後2時45分前後
地震が東北地方・関東地方を襲った3月11日は、普段どおり自宅で仕事をしていた。午前中に二件の納品を済ませて、それと入れ替えに二件の論文英訳案件を受注したのがお昼ごろ。1時くらいにお昼を済ませて雑多な書類仕事を済ませてちょっと休憩していた。その後、前日に入ってきていた飛び込みの少量案件を片付けるべくファイルを開き調べ物をしつつ、乱雑に積み上げてあった辞書を本棚に片付けた。確かこんな感じだったと記憶している。

二つばかり少量案件を片付けてチェックをしようとした時、「チャラランチャララン」と、今となってはもう聴き慣れてしまった緊急地震速報のチャイムが外のスピーカーから響いてきた。以前にも緊急地震速報はうちの奥さんの携帯が受け取ったのを聞いたことはあるし、その時も「ああ、地震来るのか」としか思わなかった。まもなくゆらりゆらりととてもゆっくりと建物が揺れ始めたが、それでもまだそんなに大きな地震だとは思っていなかった。記憶ではゆらゆらの振動が次第に大きくなっていったと思う。なにか嫌な予感がして反射的に立ち上がると仕事机の隣の背の高い本棚を押さえ始めた。揺れの幅がどんどん大きくなる中、何冊か辞書がどさりと落ちた。さっき片付けたやつだ。そして一番上の段に置いてあるガンプラが三体落ちた。あとから分かったんだけど、僕はこの時点でやばいと思ったらしく、「でかいぞ」とtweetしている。本棚を押さえる前か後かは記憶してないんだけど、多分押さえる前だったかもしれない。その直後ガッシャンガッシャン揺れ始めて「これは本当にやばいぞ」と思い始めた。これ以上大きな揺れになるのであれば、もう本棚は諦めて仕事机の下に潜り込もうと思っていた。でも頭のどこかで、リビングに置いてあるシンセのことが気になっていた。落ちないといいけど、と。あとこの頃、確かモニタ上のTweetDeckを目の端に捉えていた覚えがある。ものすごい勢いでTLが流れていた。うわあああああ、と、ものすごい勢いで流れていくTL。これも初めての体験。

その頃、うちの奥さんはキッチンで一番背の高い食器棚を押さえていたという。一番大きな揺れが来たときはさすがにもうテーブルの下に身を隠そうと思っていたらしい。「大丈夫かー」「とりあえずOK」とか声を出し合いながら現状を確認しあっていた。

幸い、大きな揺れは程なくして収まったものの、長いことゆらゆら揺れていた。おかげで船酔いのように気持ち悪くなってしまった(僕は未だに船に弱く、カーフェリーでも吐いたことあり)。今までの人生で体験したどんな地震よりも長く、大きな揺れだったように思う。揺れが収まったと判断したあと、キッチンへ駆け込んだ。うちの奥さんは静岡は浜松の出身で、地震に対しては結構肝が座っている。小さい頃から受けてきた地震教育によるものらしい。半ば興奮して「すっげえ揺れだったなしかし!!」と大声を上げる僕に「まあね」とスルー。落ち着いてから気がついたんだけど、彼女は速報が来て揺れを感じた直後にガスの元栓を閉め、もう一つある低い食器棚の上に置いてある物をすべて床におろし、そして食器棚を押さえてテーブルの下に入るスキを伺っていたらしい。うちはあまり家具がなく、背の高い家具は基本的にキッチンにある幅60センチくらいの食器棚と僕の部屋にある1.8メートルくらいの本棚のみだ。あとは背の低いものばかりだけど、やはり家具の固定はきちんとやっておくべきだったとうちの奥さんに言われた。同感。

地震後
地震が収まったあと、すぐに情報収集を開始した。うちにはテレビが無いので、すぐにラジオを付け、インターネットで情報を集めた。主に参照したメディアはtwitter, 気象庁のウェブサイト、そしてUstream。今回改めて実感したけど、初動捜査的な情報収集にtwitterはやはり力を発揮し、twitter上で流れていく情報を追いかけていくだけである程度のニュースはつかめた。ただし、「情報」が流れていくだけで、情報は良いもの悪いもの問わず雑多に流れていく。前にもエントリで書いたけど、後々になって実感したのは、やはりtwitterはFollowingの質が大事だということ。

ほどなくして今回の地震がどこで起こったもので、各地の震度の情報が手に入った。最初に自分が得た情報では震源地は東北沖で岩手・宮城・福島は震度7くらいだということだった。そして津波の警報が出ていることをラジオで知る。何分かした後、twitterでNHKの放送内容をそのまま流しているUstreamチャンネルを知り、そのチャンネルを見始めた(後々、このUstreamチャンネルは一人の中学生が流しているものと知った。そしてその後、このチャンネルをtwitter上でNHKの公式アカウントが追認していたという流れもあった)。そして人生で一番見たくない同時生中継を目にした。黒い大きな水の塊が沿岸の街を飲み込んでいく。右往左往する車。次々に姿を消していく民家、畑、ビニールハウス。言葉が出なかった。映像は宮城県の名取市のものだったと思う。NHKのアナウンサーは緊迫して上ずった声を出しながらも、努めて冷静に避難を促す言葉を繰り返し呼びかけていた。
宮城県は母の実家があるところ(正確に言うとあった、今はもうないんだけど)でもある。仙台市内に住んでいるのは母の三人いる兄のうち一人だけだけどとりあえずどんな状態か気になった。

ライフラインとか
地震直後、とりあえず家族に連絡をとろうと試みたが、何度かテストしてみたが携帯電話・携帯メールはつながらない。でもWebメールは問題なかったのでGmailで連絡してみた。携帯アドレスに送ったので届いてないだろうと思いきや、妹と母親からは無事の知らせが帰ってきた。都心に勤める弟からはGoogleTalkで「とりあえずOK」と返事が帰ってきた。

連絡手段として、携帯電話はまず使えなかったし固定電話もダウン。一方でSkypeや普通のWebメール、TwitterやFacebook等のWebサービスは普通に使えていた。なのでインターネットは今回の地震で本当に重宝した。ちなみに自分が住んでいるエリアで停電はしなかったので、地震直後から電気に関しては問題はなかった。断水もしなかった。一応地震直後に水を溜めたけど。だけど知人や友人の話や報道では僕の住むエリア近辺だと、横浜の一部や町田、相模原付近では停電・断水があったようだ。

その後に問題になったのが、燃料や食料品などの買い占め。特にガソリンスタンドはどこも長蛇の列でとんでもないことになっていた。多分どの車もガソリンは半分くらい入っていたんだろうけど、ガソリンの調達が危ないという情報が出た途端にみんなスタンドに急行していったような気がする。うちは普段から車をよく使う。だからこの燃料買い占めは他人事ではなかった。でも、一番燃料が必要なのは被災地だし、例えガソリンがなくったって死ぬわけではないという夫婦間の合意により、今までしたことのないエコ運転をしつつ車の使用を控えたりして普段より燃料消費を抑えた。結果、特にスタンドに並ぶこともなく普通に給油できたし特に騒動に巻き込まれることもなかった。パンや米、水等の食料品の買い占めも僕にとっては理解しがたい現象であった。だってそんなに食べますか?菓子パンとかって。まあ米は家庭によっては死活問題なのだろうけど。ちなみにパスタが主食とも言える我が家では、パスタをまとめ買いするんだけど、地震の来る3時間くらい前にたまたま注文しておいたパスタ20kgが届いたので買い占め問題も余裕でクリアだった。

震災から五日後の近所のスーパー
震災から五日後の近所のスーパー

仕事への影響
仕事用に使用しているアカウントのメールサーバーが今回の震災で被災し(停電・液状化)、不安定になってしまい、メールが受け取れない・送れない状況が続いた。まあこのアカウントは、ここの会社から来る仕事関連のメールのみ受け取るためのアカウントで、すぐに代替アカウントに変えたりして対策をとった。他のアカウントに今のところダメージはまったくない。

震災後、計画停電なるものが首都圏を中心に展開。ご多分にもれず僕の住むエリアも計画停電エリアに取り込まれていて、一日に二度停電したこともあった。携帯用サブノートのバッテリーが死にかけていたので急いでオークションで購入して、停電時の仕事に備えた。停電時のメール関連については基本的にスマートフォンで送受信できるようにしてあるのでとりあえず問題はなかった(バッテリーが続く限り)。やはり電源の確保というのは大切だと気づいた次第。モバイルツール系はとても役に立つけど、ガス欠した車が単なる鉄くずなのと同じように、それらのガジェットもバッテリーが切れてしまえば単なるガラクタに過ぎなくなるので、この辺りの電源の確保は重要だなーと。あと停電中、ウェブも使えなくなってしまうので、ウェブを利用した調べ物とかは基本的にスマートフォンで(最低限の調べ物に限る)やっていた。本来ならポケットWiFiなどを導入すればそのあたりの心配もなくなるんだろうけど、この辺は月額とかコスト的なことを念頭に入れて考慮したいなと思っている。あると便利なんだろうけど、今回の停電レベルではなくてもまあ大丈夫だったかな、という感じ。停電中に納品しなきゃいけないものはスケジュールをやりくりしてすべて停電前に納品してしまうようにしていたし。

そうこうするうちに、停電は必要なくなったようでとりあえず終了していた。でも夏に向けてどうなるかまだ不明なので状況を見守りつつ対応していきたいな、とは思っているけど、どうやら夏には計画停電は実施されない様子。夏でOKなら、何で春に実施したのかなあ。東電や政府は電気や節電の必要性を相当訴えたかったのだろうか。
1ヶ月経過時点で仕事の波自体には今のところ特段の影響は見られていない。が、リーマンの時も半年くらい遅れて影響が来たように感じているので、今後一年を見据えて対応していかなきゃいけないかも。フリーは煽り食らったら痛いので。あと、震災関連の仕事が増えた気がする。某電力会社とか某国大使館とか某政府とか。

情報収集についての雑感
twitterはやはり大事な情報源だった。しかし同時にデマ拡散機でもあったことがよくわかる。ジレンマ。なので振り回されるというより、自分が主体的に情報を取捨選択して、デマtweetを避けるちょっとした努力を払うことが大切だと感じた。そのちょっとした努力で、デマを受けたりまたは拡散したりしてしまう危険性を避けることができるように思えた。単純なことだけど、きちんと情報の裏取りを心がける、つまり情報ソースを当たってみて自分で判断するということなんだけど。とはいえ、ここぞと思った情報が流れてきた時はやっぱりRTしてしまいがちで自分も何度かやってしまっていた。反省。

今回の震災でもう一つ大きな被害を引き起こしてしまったのが福島第一原子力発電所の事故だろう。確実に放出された放射性物質、終始後手後手に回ってしまっている東電、保安院、そして政府の対応。出されるべき、また国民が知るべき情報と、実際に提供される情報の乖離。多すぎる情報。どの情報を信用していいのかわからない不安。風評被害。このような状況は自分も遭遇するのが初めてで、どう対処するべきかわからなかった部分もある。インターネットというメディアが発展してきている現在の状態では、これまでのメディアのみでは手に入れられなかった様々なまた膨大な量に及ぶ情報に容易に手が届くようになった。一方、情報に右往左往されてしまうという状況も発生しがち。自分としては、ブログやホームページなどで情報を発信している専門家と呼ばれる人々(今回の場合は原子力発電所、核関連技術)の情報と、実際に公開されている放射線量などのデータを常にモニタすることに注力した。情報とデータを比較して、今後の自分の行動の判断材料にしようというわけだ。もちろん、技術者や専門家と言っても様々なタイプ、傾向やバイアスを持っているわけで、なおかつそこに自分のバイアスも関わってくる。つまり、今回自分でその傾向に気がついたんだけど、人は自分自身がそうあって欲しいと願う方向性に一致するもしくは方向性が重なる情報を集めたがる、というところ。だから、関東は安全だよ的な情報を多く集めてしまう傾向に気づいた。自分だけかもしれないけど。なので、あえてその反対の情報にもきちんと触れるようにしている。

自分の周りでも今回の地震と原発の事故による放射能被害(直接の被害ではないが)を受けて、そのまま関西方面に疎開していった知人(外国人)が何人かいた。彼らの判断に何かを言おうとは思わないし、最大限尊重する。ただ疎開して行った僕の知人のほぼほとんどが発作的に出て行ったという点が興味深かった。その際「何で逃げないんだ?」と言われたこともあった。ゆっくり状況を見極めたい、と答えたら、もう時間がないんだよ!とも言われた。もちろん彼らには彼らの都合があり、家族を守りたかったり、恐怖から離れたかったりいろいろ理由があるんだろうしそれらを僕は尊重している。同様に、彼らに理由があるように僕にも動かない、または急に動けない理由があったりする。あともうひとつの点として、その知人たちは大抵三週間くらいしたら関東に戻ってきたんだけど、状況的には何一つ変わっていないのだ、彼らが出て行った時点と帰ってきた時点で。依然として余震が起き、福島の原発は特に劇的に状況が改善されたというわけではなく、あまり進展のない状態が続いており、気がついたらレベル7になっていた、っていうような。知人の一人が言っていた。「何か、意味なかったかもな、疎開して。何も変わってないんだよね、行く前と帰ってきた時で。それから一番大変なのは被災地の人だし」。ちょっと嬉しかった。

それを考えると早急に行動したところで特にどうなるわけでもないので、自分としては自ずと状況を見極めつつ、変わらない生活スタイルを続け、自分の経済活動を営んで行く方向性が定まって、今に至っている。
今後、今回と同じくらいの地震はこないかもしれないけど、でも確実に大きな地震というのはやってくるだろうと思っている。備えるのに越したことはない。

3ヶ月後
3ヶ月経った被災地の様子がBefore-After形式でこちらにまとめられています。
Japan tsunami and earthquake: Pictures of recovery 3 months later | Daily Mail Online

いずれにしろ不便な生活を強いられていることは事実だし、未だに行方不明者も多い。自分にできる経済生活を普段と変わらないペースで行っていくことで少しでも貢献できたらと思っている。遅かれ早かれ、東北には行きたいとも思っているし(観光とか友人訪問も含め)。今回の震災で、こういった自然災害に対してどんな備えをしていればいいのかということを自分の中で再考する機会となったことも確か。
そこで、備忘録として思いつくまま以下に自分なりの非常時持出し品を挙げてみる(随時追記予定)。一次持ち出し品と二次持ち出し品でわけた方がいいのかもしれないけどとりあえずまとめてみた。

食料関係
* 飲料水
* 食べるのに水や火を必要としない食料(カンパンとか非常食等)
* 紙皿、紙コップ、割り箸(不必要にゴミを出さないという観点からすると要考慮)
* 携帯コンロや燃料(二次持ち出し品でOKか)

衣料品他
* 三日分くらいの下着・着替え等
* 冬場は防寒具、毛布などそれなりに要考慮
* 靴(動きやすいスニーカー等)
* 歯ブラシ、ティッシュ、トイレットペーパー、女性に必要な衛生用品など
* 貴重品(現金、身分証類、印鑑、預金通帳等)
* 薬(必要な場合)
* 携帯ラジオ(プラス電池)
* 携帯電話(プラス充電器)
* 懐中電灯

停電時にWebが使えない状況、またスマートフォンはとりあえず情報収集に役立つけれどやはり電池の持ちが心配。これらの状況を想定すると、やはり電池式ラジオは持っておいたほうがいいなと思った。自分の住んでいるところは海岸から車で20分くらいなので津波に関してはちょっと微妙。リアス式海岸ではないのでいざ津波が襲ってきたとしても今回のものほど大きな波になるかどうかは不明だけど、念の為に近場の避難できそうな高台を把握しておいた。あと、自分の住んでいる地域の広域災害避難場所の把握もしておいた。あとは、電話不通時の家族との連絡手段か。この辺も考慮の必要あり。

四年後
この四年間で、何か変わったのだろうかと思う。自分の中で何か変わったのか。防災意識、情報に対する姿勢、人として等、色々と考えることは多々あった。が、自分の中で考えをまだまとめきれていない。そしてそれをきちんと文章化することもできずにいる。とまあここまで書いてみて、下のインタビューを読んだら自分の書いてきたことがあまりにも表層的に思えてぶっ飛んだ。また振り出しに戻った感じだ。

「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね……」外国人歴史家が体験した3.11

これからも一日一日、歩いて行く。

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