訳の向こう側(今週の1曲)

仕事で出生証明書とか、住民票、戸籍、出生届、死亡届、死亡診断書や死体検案書を訳すことがある。
基本これらはある程度テンプレが整っていればとりたてて面倒な案件ではない。でも流石にどさっと同じような書類を一気に訳さなければいけない時など、訳出は単純作業になりがちだったりもする。
でも実は、こういう案件、個人的には嫌いじゃない。

こういった書類、特に死亡届、死亡診断書、死体検案書などを訳す時、なぜか少し感慨を覚える。ちなみに死亡診断書は、病院での病死や在宅医療での在宅死など、医師による管理があった時に発行される書類。死体検案書は、それ以外のケースの場合に発行される書類、つまり、家に帰ったら家族の一人が倒れて死んじゃってた、とか、自殺とか、救急搬送されたけど亡くなってしまったとか、要は「その遺体の事件性の有無を検案する」というもの。死刑囚とかも確か死体検案書だったような気が。

言ってみればこういうドキュメントってかなり個人的な情報ではある。死亡届や死亡診断書、死体検案書などには、故人が亡くなった原因、どこに住んでいて、誰と暮らしていたか(配偶者、家族とか)とか、そういった情報がさらりと機械的に並んでいる。こういうドキュメント上の情報って固く冷たい印象を与える事務的な用語が使われていて、あくまで機械的で冷たい。が、一見機械的に羅列されている情報を通して、自分はまったく知らないけどどこかに存在していた誰かという個人とそれにまつわるエトセトラが、透けて見えてくる。その情報一つ一つの裏側に、確かに個人が存在していたっていう事実が容易に想像できる。例えば、直接の死因が肺がん、とか、慢性的な病気により引き起こされたものだったりして、故人の年齢がまだ若い40代だったりするとなんとも言えない気分になる。反対にかなり年齢がいっていて、老衰による死、とかだと、お疲れ様でしたと深々と頭を下げたい気持ちに。反面、監察医による死体検案書などで縊死、などの自殺関連だったりするとため息が出る。年齢がまだ若かったりするとなおさらだし、自分に近い年齢でも唸ってしまうし、中年の方だったりしてもいろんな方向へ想像力が働いてしまう。

色々、あっただろうな、と。

一度、自分と同い年の人の死亡診断書を訳したことがあった。しかもその方の亡くなられた日は奇しくも自分の誕生日と一緒。心不全、のような心臓系の疾患だったと記憶しているけど、急激に命を絶たれてしまった自分と同い年の人間、そしてそれまでに培ってきたであろう周囲との関係や家族、お葬式では喪主になったであろう配偶者を思うと、やはりそこに様々なドラマと時間が存在していたのだろう。

死因はどうあれ、死亡診断書、死体案件書いずれにしろ、その個人が人生を終えたという証となるのが紙切れ一枚というのはどうにも忍びない話だけれど、それを読み進めて訳していくとおぼろげながら自分とは全く関係のないその個人のそれまでの人生の片鱗が浮かんでくるようで、なんかHolly ColeのCalling Youを聞きたくなる。

http://www.youtube.com/watch?v=d8PWpeXYs3s

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2 comments / Add your comment below

  1. 色々考えさせられてしまいますねー。僕も以前介護してたアル中男性が亡くなったときにその人の人生のことをあれこれ思ったことがある。

  2. > tomguitarbikeさん

    今月は親友の命日だったりもするので何かいろいろかんがえてしまったりする。
    一つ歳もとるしねー。

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