外国語より表現力が豊かな言語であるという幻想

こないだ髪の毛を切ってもらっていたときの話。

隣のご婦人が、美容師さんと会話していたのが聞こえてきた。何でも品の良さそうなそのご婦人、「英語とかスペイン語に比べて日本語は表現力が豊かでしょ?だから、日本語をぺらぺら話しているハーフタレント、すごいと思うのよね」

二度見しそうになったが辛うじて堪えた。即座に疑問が頭に浮かぶ。

英語とかスペイン語に比べて日本語は表現力豊か?ということはご婦人、英語とスペイン語に堪能であられるのだろうか?ということは、英語やスペイン語は表現力が乏しいのか?日本語をぺらぺら話しているハーフタレントはすごい?基本的にハーフは日本語力が弱いと?そもそも貴方様のおっしゃる「ハーフ」の定義は?メディアに出ている一般的な「ハーフタレント」とはどういう方々を言う?日本語をペラペラ話せるとすごい?貴方様の日本語力はどうなのだろうか?

これくらいにしておきますが、兎にも角にも、それくらいのクエスチョンがクエスチョンマークと一緒に頭に浮かんだわけです。

このご婦人の主張を耳にして、これまでにお会いしたことのある「日本語は外国語と比べて表現力が豊かである」という主張をする人たちのことを思い出した。そう仰る皆さん、かなり自信満々で「日本語は、習得が困難で表現力が豊かな、類稀な言語」と主張される。そして「外国人にとってはとても大変ですよ、日本語を身につけるのは」と仰っていたのが印象的。ちなみに皆さん、外国語学習・習得経験についてはまちまち。中高でやってた英語くらいの人もいれば、大学で第二言語として英語以外の言語をやっていた人もいれば、特に何もやっていない人。まあいろいろです。

「なぜ日本語は表現力が豊かだと思われるんですか?」と尋ねたことがある。「日本語は、ものの形容や様子、状態を表す言葉や擬音語が多い」とか「日本は四季があるため、それらを説明する言葉が多い」とか、まあそんな感じの答えが返ってきた。だけど「表現力が豊か」と主張するには、日本語以外の別の言語と比較して、という条件が必要だ。実際に比較したことがあるのだろうか?と思い、英語学習歴が長い人に聞いてみた。英語と比較すると、日本語は表現力が豊かだと思います?と。

返ってきた答えは、まさに定番中の定番アンサーだった。

「英語という言語は、イエスかノーか、白か黒かをはっきりさせたがる文化から来ているので、基本的に直接的であり、日本語のような主語を省きボヤかせた曖昧な物言いには向いていない。また、英語のコミュニケーションは、基本年齢などに依存しないため、カジュアルなものが好まれる。対して日本語には、敬語、丁寧語、謙譲語と、バラエティに富んでおり、繊細な感情や情景を表現するのに適している。英語には敬語など存在しないし、繊細な物言いをする必要がないので、やはり直接的な言い回しになる」

要約すると、「ダイレクトなコミュニケーションが好まれるため、英語には直接的な言い回しが多く、敬語はないが、日本語は曖昧で繊細な表現をすることが求められるので、敬語などバラエティに富んでいて表現力が極めて高い」ということか。で、美容室のご婦人の主張も、自分がこれまで会ったことのある「日本語表現力高い」主張をされていた方々の言っていることと合致するのかもしれない。いわゆる「そういう系」の考え方が根底にあったのかもしれない、そのご婦人にも。

だがしかし、である。

本当に英語は直接的な言い回しが多く、なおかつそれが好まれるのだろうか?英語に敬語はないのか?

「英語を勉強してきた」というより「英語で勉強または仕事をしてきた」という方たちならおわかりでしょうけども、まったくもってそんなことはないです。ただただひたすら、英語は「直接的な言い方もできる」というだけで、「直接的な言い回しが多い」わけでも「敬語がない」わけでもないです。婉曲表現もあるし、丁寧な言い方もあるし、ワンクッション入れてソフトな印象にする表現やフレーズもある。

例えば、Soft expressionsというものがある。それこそ「直接的でヘビーに聞こえる表現をソフトに和らげる表現」だ。例を以下に挙げる。

be economical with the truth = to lie
the little boys’ room/the ladies’ room = toilet
pass away/did not make it = to die
between jobs = unemployed
on the street = homeless

クッションを効かせる言い回しも。

If you don’t mind…
If it’s not a problem…
When you have a moment…
By any chance…

まあ色々あるんですよとにかく。Help me!! というのだって丁寧に言えば、

Well, um, I really hate to bother you, but I wonder if you would mind helping me just for a moment, as long as it’s no trouble, of course…

みたいな。でもこういうのって結局の所日本語でも同じなわけで。直接的に言おうとすれば直接的に言えるし、きちんとクッション効かせて婉曲表現使って話すことも可能っていう、ただそれだけのことですね。異なる言語を比較して、お互いの優劣を決めるみたいなことはナンセンスです。言語は思考。言語は文化。言語は権利。だから外交の席とかではかならずプロの通訳置くじゃないですか。言語を比較してどっちが良いというのはほんと意味ないっす。

ご婦人にこういうことを伝えたいなーと瞬時に思ったんだけど、美容師の対応で溜飲が下がった。ご婦人の「日本語って表現豊かでしょ?日本語をペラペラ話せるハーフタレントはすごいと思うわ」に対し、こう答えていた。

「表現豊かなのはどの言語も多分一緒だとは思いますけどね…だってその国その国の良い部分があるわけで、それを説明する言葉だって絶対あると思うんですよ…あとまあハーフタレントは、メディアに出てくるような子は、そりゃ日本語話せると思いますよ、でないと仕事にならない(笑)。あと、あえてのタメ口とかだと思いますよ、帰国子女感だしてメディア受けする、みたいな。日本てハーフはタメ口、みたいな暗黙の了解あるじゃないすか。俺の友達にも帰国子女いますけど、ああいうなんでもタメ口でOKみたいなやつはいないなあ…」

はい、もう何も言わなくてもOKです、完璧です!と心のなかで拍手喝采しました。お疲れさまでした。

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14 thoughts on “外国語より表現力が豊かな言語であるという幻想”

  1. 当然日常会話で使う単語数から比較して日本語の表現力は遥かに高いですけどね。
    日常会話で使う単語数がそもそも違うんですよ?。

    Reply
    • コメントありがとうございます。
      仰ることはわかります。
      この記事の趣旨は、「異なる言語を比較して、『こっちの言語の方が表現力が上だ』とするのは意味がないのでは?」というものでした。

      Reply
  2. 英語にしかなくて日本語に訳せない単語(概念)はあるけれども、それは英語も同じこと
    しかし日本語にしかない表現や、概念、単語の数は英語より多いのは確かだと思います
    例えば漢字のおかげで目、眼、眼(まなこ)、瞳、眼球等を英語ではeyeとしか言えない
    また、木漏れ日、木枯らし、侘び寂び、幽玄、色褪せないように、いただきます、おつかれさま、擬音語
    これらは他の言語にない概念、表現です
    これらもただの一例で、日本の文化からなる特異な表現の多さは数ある言語の中でも上位だと思うのでこの奥様方の言うこともいちりありますよ(笑)

    Reply
    • それはあなたの英語力が日本語と比較して乏しいだけかと。
      例えば英語に比べて形容詞は日本語の方が少ないと言われてます。
      例としては、「びっくりさせる」surprising、 amazing、 astonishing
      「嬉しい」happy、 glad、 pleased…など日本語にすると意味が全部一緒ですがニュアンスが異なります。
      形容詞以外でも、日本語 歩く 走る 2種類、英語 ウォーク ジョグ ラン スプリント 4種類、
      日本語 ヒゲ、英語 beard,whisker,mustacheなど英語の方が表現多いものはいくらでもあります。
      因みに辞書を比較しても、日本語の辞書よりも英語の辞書の方がはるかに多くの語彙があります。
      私はどちらの方が表現が豊かかなんて言うつもりはありませんが
      日本語の方が豊かといいたいなら最低でもネイティブ並みの単語4万語以上覚えて
      洋書の小説や詩集や論文などをすらすら読めるレベルの英語力を身に付けてから言っていただきたいです。

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      • 人の事をバカにする割には反論弱くないか?
        日本語の例がカテゴリーで英語の例が細分になってるぞ
        同様に比較するなら嬉しいなら幸せ幸運幸福があるしヒゲならアゴヒゲ口ひげ頬髭とかがある
        結局どっちが上下ないと言った割には無意味な比較と英語力マウントで終わってるの残念すぎる

        Reply
  3. 結局、日本語にあって英語にない表現は、誰でも見つけやすいけど
    英語にあって日本語にない表現には気付きにくいからこういう幻想が生まれるんだと思います。
    鳴くという動詞のバリエーションなど英語の方が表現が豊かな例はいくらでもある。
    単にそれぞれの国や地域の文化によって豊かに表現できる言葉の領域が違うだけで
    どっちが上とか下とか容易に判断できることではないです。
    それをある一面だけ切り取って「日本語の方が表現が豊か」と思い込んでしまうのは
    言葉は悪いですが想像力が欠如してるとしか思えません。

    Reply
    • えこさん
      コメントありがとうございます。
      >英語にあって日本語にない表現には気づきにくい
      >それぞれの国や地域の文化によって豊かに表現できる言葉の領域が違う
      大変同意です。
      言語を比べる(必要があるかどうかは置いておいて)場合、いずれの言語リテラシーも同レベルであることが大前提だと感じています。
      その前提条件を無視して、
      >ある一面だけ切り取って
      しまうのは無理がありますね。

      Reply
      • 話の趣旨としては納得できるだろうけど内容としては理解に苦しむ。結局自分の趣旨に合わせておばさんの話から欲しい所を抜き出してこき下ろしただけだよね。おばさんの言いたかったであろう事を汲み取らない意思とこき下ろそうとする意思が文章的に醜いから他の方も文句を言っているのでは?自分の話をする為に人の趣旨を無視して気持ちよくなっていないか?特に最後のはい、もう何も〜の辺りが会話の当事者でもないのに傲慢だとも思わないのか?言葉を扱う自負を節々に見せながらこんな言葉遣いってどうなのさ。

        Reply
  4. 日本語は世界でも難しいとか表現豊かと言っている人はたいてい日本語しか話せないし、あるいは英語を少しかじっただけの人が多いですね。私はどちらの言語が豊かなんて簡単には、比べられないと思いますし、ある一面を取り出せば英語のほうが豊か、または日本語のほうが豊かとなりますが、総合すればどちらも変わりないと、言語学でも言語の優劣はないとされています

    Reply
  5. ’コメントありがとうございます。
    仰ることはわかります。
    この記事の趣旨は、「異なる言語を比較して、『こっちの言語の方が表現力が上だ』とするのは意味がないのでは?」というものでした。’

    自分でもわかってんじゃんw
    少ない単語で表現が豊かってんなら、それは表現力に優れた言語であるってことでしょw
    外国かぶれって何がしたいのかよくわからんよなぁ
    その美容室のおばさんもどっちが優れているかじゃなくて、同じ単語でも色んな表現力のある日本語を使えてる外国人凄いよねって
    意味で言いたかっただけだろwその美容師が言ったことも作ってるのか知らないけどw

    言い回しなんてそりゃ言語によっていくらでも言い換えできるんだしw馬鹿じゃねぇのw
    この記事見ても思うけど、おばさんの言葉をすぐに優劣問題に切り替えてくるのが、外国的というか外国かぶれの日本人というか
    くだらねぇゴミ記事でした。

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  6. 筆者は根拠になってない、いい加減な理由で日本語のが表現力豊かと言ってる人達に苦言を呈したかっただけで
    とくに外国かぶれには見えませんけどね。
    寧ろあなたの方が日本語のが表現力が上じゃないと許せないという偏った考え方をしてるようにしか見えない。

    同じ単語で色んな表現力→中学生でも分かることだけど英語でもいくらでもある
    優劣問題に切り替える→最初に優劣を語ったのはどう読んでもおばさん・・・などなど
    他にもつっこみどころがありますか、たぶん話の通じる方ではないのでこの辺でやめときます。

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  7. 米国で12年暮らしてボランティアで日本語学校で日本語を教えていましたが、現地の米国人が英語は語彙の数が日本語に比べて少ないので、それを補うために身振り手振りで話をすると言ってました。文章においても、ひらがな・カタカナ・漢字・・・この3つを使って様々な表現が可能なのも日本語の素晴らしい点だと思います。

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  8. 私はハーフで生まれも育ちもアメリカ、日本語と英語両方の高等教育を受けてきました。その上でやはり日本語の方が表現力は上だと言うのが自分の考えです。

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    • 日本生まれで留学経験ありの日本人ですが、英文学の豊かな表現や、詩は日本語訳では絶対に伝わらないものがある。村上春樹のような作家は英語訳でも同じ印象を受ける(あえてそのような文体で書いているらしいけど、それって日本語で書く意味があるのか?と自分は不思議に思う)
      でも夏目漱石や川端康成の作品は日本語でしか伝わらない美しさがある。
      芸術性が問われる時、どの言語もそれぞれに独自の豊かな世界が繰り広げられている気がします。そこに優劣はないような?それぞれの言語を知れば知るほどそう感じます。

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