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いじめ

いじめのニュースとか、いじめに由来する自殺のニュースとか相変わらず絶えない。それに個人的に感じてることなんだけど、どうも「人身事故」ニュースが増えてる気がする。察するに自殺関連だと思ってしまう、必ずしもいじめが原因ではないんだろうけど。いじめについての個人的な雑感。前書いたエントリを見返して現時点で思ったことや考えたことを追加してある。

「いじめ」って誰しもが、様々な意味で心当たりのある言葉だろうなと思ってる。年齢関係なくいじめって存在するだろうし、人が群れて集団でいれば、必ず顔を出す。日本人という国民性を考えると、「いじめ」はその言葉自体が持つもともとの範囲や定義みたいなものを越えていく気がする。なんというかこう、出る杭は打たれる、変わったものは疎まれる、皆同じに画一的に、といった既成概念の存在自体がいじめにつながる、という気がすごいする。もちろん、前述のコンセプトは日本人全てが持っているわけではないけど、それでもそういった考え方は、「特定の枠内にいないものを排除する」という行動の原動力にはなる。あと、いじめっていろんな形態を取るようにも思う。モラハラ、パワハラ、セクハラ、これらだって嫌がらせっていう意味ではいじめだと思うし。

自分が小中学生の頃のいじめというと、誰か特定の人間が特定のグループや集団に小突き回される、バカにされたり、上履きを隠されたり、いろんな嫌がらせをされたりというイメージがあった。最近でもそう大きく変わらないだろうけど、グループや派閥に所属していながら、それまで口をきいていた友達が次の日から全く口をきかずシカトしはじめたり、その逆、つまりそれまで全く口をきいていなかったのに次の日からいきなり友達として迎えられたり、といったことが多くなっているらしい。よく考えるとこれは、集団やグループ内では誰もがいじめの加害者または犠牲者となる可能性がある、ということにもなる。もともと持っている価値観やコンセプトよりも、その集団内での雰囲気や空気がその中にいるものに大きな影響を与えるということなのかもしれない。テクノロジーの進化ともあいまっていじめる側といじめられる側の境が果てしなく曖昧になっているように感じる。

いじめられる側にも問題がある、というのはよく聞く言葉で。
いじめを見て見ぬ振りする先生たちは、大抵が、「仲は良さそうだった。友達同士だと思っていた」と言うことが多い。とても多い。そしてその部分を突っ込まれると「いじめられる側にも問題がある」という言葉を投げる。確かに世の中には完全無欠な被害者なんていうものは存在しないだろうとは思っているけど、果たしてそれは本当なのかよ、となると、そのとある集団とかグループ、またはクラス内の様子や複雑な人間関係、各メンバーの性格や人間性を熟知していなければ分かるはずもない。いじめられる側の問題、ってなんだろうか。それって結局、いじめてる側に「あいつムカつく」と思わせていると思われるいじめられている側の言動や言葉なのだろうか。それは結果的にはいじめを容認していることになるんじゃないの。

僕はハーフなので(父がアジアの小国の出身、見た目は日本人です)、小・中学生の頃はよくからかわれたりした。自分が生まれた当時は、日本で生まれた外国籍の父親を持つ子供は、日本国籍をもらうことはできなかった。両親とも日本人の場合は父方の戸籍に入る。これに倣い、自分は日本国籍ではなく父親の国籍となり、名前もカタカナだった。そのため、顔はまるっきり日本人でも名前が違う自分はよく馬鹿にされたものだった。ガイジン野郎から始まり、果ては(理由がよく分からないが)AIDS呼ばわり。名前を見れば一言、「お前アメリカ人?」と聞かれることもしばしば。こんなことを言っているようでは国際化もへったくれもない。外国人イコール欧米人、アジア人イコール自分たちより下の下民、としか思っていないのだ。だから今でも自分は日本人のそういうねじくれてへつらい気味の国際感覚はもう本当にパス。無理。ダメ。受け付けられない。日本人ってアジア人に対しては結構大きく出たりするよね、その逆、欧米人に対してはへこへこしてる(連中が多い気がする)くせに。まあこれって言葉の問題もあるんだろうけど。

とはいえまあ、自分としてはそういういじめとか自分のアイデンティティ云々とか何とも思っていなかった。むしろ、他人と変わっている方が断然面白い。だからそんなものはいじめとも思っていなかったし、いじめとして受け取ってもいなかった。あれはいじめだったのかもな、と思うのはもっともっと先のことだったし。だからそんな連中のことはほうっておいた。逆に日本人だけで群れて日本人じゃない者に対して野次を飛ばしてバカじゃねーの、つまんねえ連中、と思っていた。だが中学の時に両親を名指しで罵られた時には、さすがにキレて相手をボコボコにしちゃったけど、それも今じゃ懐かしい思い出。それを機にいじめもどきは終わった。結局いじめ集団はいつも群れており、いじめを扇動しているヘッドがつぶれれば取り巻きは一気に散る。そういう連中は誰も一人じゃ何もできないのはいつものこと、よくあることだった。少なくとも当時は、という説明書が必要かもしれないけど。

そこへきて、いじめられる側の原因、というものを自分の例で考えた場合、果たして自分に原因はあったのかなあと思う。自分の場合は、「他と違っていた」という理由が真っ先に考えられる。でもそれって自分ではどうにもできないものだし、ハーフであるというのは先天性のものだし、ハイ変えましょうといって次の日に変えられるものでもないし。よく言われる性格的な理由というやつだってそんなに簡単に変えられるものでもないし、ましてや変える必要もない。それらはいじめる側のいじめたくなる理由の一つかもしれないが、あくまでいじめる側の理論であって、いじめられる側としては露の一滴の意味もないっていう話で。いじめられる側が、何らかの要因を故意に作っている場合は別かもしれないけど。でもその観点からしても、だからといっていじめを集団で行っていいのかという問いとは別問題だろう。

いじめをしている連中に「ターゲットを設定して、いじめているのだ」という意識は、少なくとも集団でいる時にはないかもしれない。ない、というかそう感じられないというか。そして自分の例のように、いじめられている側がそれをいじめとして受け取っていなければ、それはそれでいじめではない(あとになって気付くこともあるが)。十人いれば十個の異なる感受性があるし、ひとえにすべてのケースをいじめどうのこうのとして片付けることはできないだろうと思う。自分の経験から言えば、いじめられた時にそれをどう受け取るかで大きく考え方が変わると思う。そしてそれは、後の自分の立ち振る舞いに大きく影響するんじゃないか。自分の場合、父親が「そうやってバカやってくる連中は、自分の池しか知らない。けどお前は二つの国を知っている。それだけでアドバンテージだぞ。なんかしょっちゅうかまってきて面白い連中だな。遊んでやれ」というようなことをよく言っていた。その価値観は大きかったと思う。今思えば日本にやってきた父親の目には、日本や日本人の持ついろんな習慣とか価値観とか奇異に映ったこともあるだろうしいろんな経験もしてきたんだと思う。父親が日本にやってきた頃はまだ1970年代の中頃で、日本はそんなに外国人にやさしい国(今でも全然やさしくはないと思うけど)でも外国人にとって住みやすい国(今でも…略)でもなかったろうし。

最近はいじめの形態が急速に変わりつつある。いじめにもテクノロジーの波が押し寄せてきた。小学生でも携帯を持つ時代になった。中学生がiPhoneとか当たり前の時代。誰とでもすぐに携帯電話やメール、LINEでつながることのできる時代。誰とでもつながりやすい反面、キレやすい時代。薄くて表面的な人付き合い。忘れられた「友情」とか「友人関係」とか。うつろう集団内・クラス内 の雰囲気や空気。誰のことも信じられなくなる一方で、いつでもつながっていたいと願う孤独感。そういう環境下では、全員が全員、いじめの被害者になると同時に加害者にもなりえる。そして集団心理が働き、一度いじめのターゲットを見つけると、行為はどんどんエスカレートしていく。情報の伝達速度もものすごい速いから、一夜にして被害者と加害者が入れ替わることもある。

人が集団でいれば、敵味方を作ってどっちかに所属していれば楽は楽だ。どこぞの派閥に所属していれば少なくともそのグループの中では安心感を得られる。ただ逆に言うとそれは、グループの評判が自分個人の評判にもなりえるということでもある。そして自分の意見は発信しにくい、もしくはし辛いという側面もある。多数派に押されて自分の考えは押し込んでしまう。まあこれっていわゆる日本人の国民性の問題もあるんだろうと思うけど。

どのグループ・派閥にも属さない、というのはこの場合、こういう問題から自分を遠ざけておくひとつの方法にはなるのかもしれないけど、特定のグループに属さないということは、非常に難しいことでもある気がする。人間は群れたがる習性を持っているし、立場上そういったグループに属さなければならない時もあるし。仕事上のコミュニティ、学校、その他いろいろと、人間はやはりコミュニティに所属して活動をするものだろうし。それだとしても、グループもしくは派閥に属さなければ、誰かの肩を持ったり持たれたりということからは解放される。少なくとも、加害者になることは避けられるかもしれない。とはいっても難しいよなあ。

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2 thoughts on “いじめ”

  1. う〜ん。色々考えさせられるね〜。小学生の頃ジャイアンみたいなヤツがいて、いつも2人の子分に僕を押さえさせて僕の腹を殴っていたけど、絶対に仕返しをしちゃいけないって教わってたから、ひたすら耐えてたのを思い出した。でもある日いい加減に頭に来てとっくみあいをした。それでも殴りはしなかったのをおぼえている。その後まあ、まわりの人が僕のことをチクり魔だと思ったかどうかわからないけど、帰りの会でジャイアン君が毎日僕の腹を殴って困っていますって言ったら、ジャイアン君めちゃくちゃ泣き出して、な〜んだ、なさけないヤツだな〜と思った。

    1. >Tomguitarbikeさん
      おお、でもさー、ジャイアンくんみたいな奴は多いね。
      大人でも。結局一対一になるとダメな奴ってのはどこの世界にもいるんだなーと。

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