「タダで訳してよ」問題

この仕事をしていれば誰でも一度は遭遇しているであろう「タダで訳してよ」案件、もとい、「タダで訳してよ」問題。語り尽くされた感は否めないけど、まあ思うところを。

経験上、大抵のケースで「タダで訳してよ」犯人は友人・知人、親戚だったりと、見知った人間である可能性が高い。内容は様々、多岐にわたる。ちょこっとしたメール、手紙に始まり、SNSのポスト内容、海外のウェブサイト内のとある文章もしくはページ、入管関係の書類、出生・死亡証明書、給与明細、結婚証明、トライアル(!)、または現在取り掛かり中の案件内の複数文(!!)だったり、まあとにかく枚挙にいとまがない。「タダで訳してよ」犯人の連中ときたらまあ本当に我々細々と暮らしている善良でイタイケなフリーの在宅翻訳者に、色んな文章やらドキュメントやらを英語及び日本語に、しかも無料で翻訳させようとする。細々と暮らしている善良でイタイケなフリーの在宅翻訳者の我々からしたらもう本当に言語道断横断歩道的な犯罪者たちなのである!←言い切った!

なぜこんなにも熱くなってしまうのかというとそんなのこの一言に尽きる。
「こっちは仕事でやってんだよ!!!!」っていう。
つまり、
「こっちは(翻訳対象の文章一字一句を字面通り単語レベルで置き換えるのではなく、コンテクストや背景知識等踏まえて、ターゲット言語を話し理解する読み手や受け手に通じるように、翻訳対象の文章が持つ意味をそのターゲット言語で説明するという一連の作業を)仕事でやってんだよ!!!!」っていう。
それで、その作業って殊の外労力と時間がかかって大変なのよ!!!!だからこそお金という対価をもらえる仕事になりうるのよ!!!!っていう。
翻訳を生業とする翻訳者側には、この辺の暗黙というか当然過ぎて一々話さなくてもいいんじゃないのと思えるようなこの事実に関する共通理解があると思ってる。けど、「タダで訳してよ」犯人の連中たちにはそれがどうにもよくお分かりいただけないらしい。

まあ「タダで訳してよ」犯人の連中たちと対話を試みようと思ったこともあるにはあった。

ケースA
犯人:「これ訳してよ!」
自分:「ふーむ(ファイルを確かめる)…料金発生するよこれ」
犯人:「えっ」
自分:「えっ」

ケースB
犯人:「ざっくりでいいからさ、これ英語にしといてほしいんだよね」
自分:「ふーむ(ファイルを確かめる)…ざっくり訳すにしてもこれだとだいたい五千くらいですかね」
犯人:「えっ」
自分:「えっ」

ケースC
犯人:「これ訳すとお金かかる?」
自分:「ふーむ(ファイルを確かめる)…かかりますね」
犯人:「えっ」
自分:「えっ」

ケースD
犯人:「今度病院行かないといけないんだけど、検査とかの説明で。2時間くらい一緒に来て隣で訳してくれない?」
自分:「2時間拘束で通訳っていうと…料金発生するよ」
犯人:「えっ」
自分:「えっ」

というか対話になっていない。料金が発生するという時点で目が点になってしまうようだ。
連中の主張はこうだ。
「翻訳とか仕事でやってるんなら、これくらいの(大した量じゃない)文章ぐらい簡単にちゃちゃっと訳せるでしょう?余裕でしょう?」
大体これに尽きる。ほっとんどがこれ。何も考えていないと思われるこの理由。とにかく簡単にできると考えているらしい。専門職相手にこの感覚は甚だ失礼だという他はないと思う。
じゃああなたはあなたの家を立ててくれた大工さんに「これくらいの犬小屋ならちゃちゃっとできるでしょう?建ててよ」って言えんのか?あなたの車を売ってくれたディーラーで「オイル交換くらいちゃちゃっとできるでしょう?交換してよ」って言えんのか?離婚する時に揉めて弁護士呼んで「ちゃちゃっと交渉しといてね」とか言えんのか?とまあ脊髄反射的に返してしまいそうになる。まあそれにしてもこの手の事案、困りますね、非常に。

第一翻訳ってのはそんな単純なプロセスで行えるもんじゃない。その文章はどんなタイプの文書でどんな分野で使われているかを考えながら調べ物を展開して、各訳語のバランスとターゲット言語として収まりが良いか、自然か、その言語のネイティブ読者が読んでどう受け取るか等を考慮しつつ訳文を構築していくわけだし、それに原文のレベルや良し悪しって要素もあるし、特定の分野で極端に情報が少ないという状況も発生するかもしれないし、色々な要素や考えうるトラブルというかマイナス要素をも考慮に入れないといけない。別に関連書籍を資料として買わないといけないかもしれないし。そしてこのプロセスと作業には必然的に時間がかかる。時間がかかれば拘束される。優先度の低いタスクに拘束されれば自ずと他のプロジェクトや作業にも影響が出てくる。そしてなおかつその分のペイはないのだから。だって「お金を払う」というのは、労働者の労働の時間とその成果をお金で買うっていうことだと思うわけで、こっちの労働時間と成果に対して対価がないってのはそりゃまあ良い話なんかには全然ならない。じゃあ引き受けなきゃいいじゃん、と言われるかもしれないが、ことはそんなに単純でもない。

っていうのは、結局「知り合いからの頼みごと」って断りにくいっていう前提がある。
深い知り合いであればあるほど断りにくいという側面もあるだろうし、力関係とか前職の人間関係が影響したりもするだろうし。その辺りは千差万別ではあろうけど、とにかくまあ人それぞれで人間関係ってもんが関連してくると思う。まあ断りにくい人というのはいるもんだろう。それから、本人の人間性が関わってくる時もあると思う。無用な情けとか。ついつい人が良くて、とか。無駄に優しい、とか。知り合いの駆け出し翻訳者が泣きついてきたとか(実話)。同業からタダで訳してと言われるともう色々折れます。てかキレます。

だけど最終的には、この手の「タダで訳してよ」犯人たちに対する答えは二つしかないと思っている。

まず「やってもいいけど納品はいつになるかわからないのと内容に保証はできないよ」が一つ。
労働の時間とその成果に対して支払われる対価がないのなら、そのいずれに対しても保証はできないよ、と予めお断りする方法だ。それで相手がOKを出せばのんべんだらりとやってやりゃいいし、「えー困るー」とか仰るのであれば、「じゃあちょっと厳しいなあ(笑)」と笑ってあげればその場の雰囲気も和らぐんじゃないでしょうか。

そして二つ目は伝家の宝刀、「料金発生するよ」。
「見積もり出すよ」でもいいかも。これは実にわかりやすい展開になると思う。もし本当にやってほしいものであれば、相手は見積もりを依頼するだろうし、もしそうでなければ件のケースみたいに「えっ」となるわけで。で、「えっ」ってなったら、「お金かかりますよこれ」と冷静に(言えればいいのだが)。

とにかくこの二つで乗り切るしかないと思われ。

こういう「タダでやってくれよ」的事案て、翻訳者以外でも結構経験されている人が多いらしい。例えばクリエイティブな職種の方。イラストレーターさんだったりデザイナーさんだったり。最近twitterで見知ったケースでは、行政の案件で「ギャラは支払えないけどやれるならやって」みたいなケースとかあるようで。ちょっと前に話題になった東北の観光案内ウェブサイトの誤訳問題の時にも「誤訳を直すのをボランティアでやって」とふざけたことを行政がぶちあげたのも記憶に新しい。プログラマーさんとかも色々ありそうだな。

まあとにかくそういう犯人たちの標的になったら頑張って「金取るよ!金の亡者だよ!」と言って対抗していきます、これからも。

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