Translation Work

OJTの思い出

仕事としての翻訳を始めた頃に大変お世話になった英国人校正者先生の具合が悪いという。

過去の話になるけれど。

この仕事をするきっかけとなったのは、プログラミングを勉強したくていろいろ学校のようなところを探していた時に、求人情報誌のタウンワークで目についた1つの求人広告だった。その小さなソフトウェア会社は、ネットワークツールやソフトウェアの開発・販売、サーバー・ウェブサイト運用、ウェブアプリの開発なんかを手がける会社だった。会社のホームページを見てみると、「翻訳」の文字も。へえ、翻訳もやってるのか、と思った記憶がある。2000年代初頭の当時はまだブロードバンドが普及し始めた頃で、Googleが次第に勢いをつけてきて、とはいえ検索といえばYahooだったり、Amazonが日本でもようやく認知され始めた頃だったが、この先インターネットは必要不可欠になるだろうし、英語だけは絶対にやっていないとインターネットの大海原を泳ぎ回るのに不利過ぎる!と思っていた自分は、暇を見つけては英語を勉強していた。幸い、高校を出たあとしばらくして始めたバイト先のカーペット清掃会社の社長が日本語のできない米国人で、かつ現場は米軍基地や都内在住の海外駐在員の個人宅ばかりだったこともあり、ささやかながら「英語を仕事で使う」という環境に身を置いていた。その頃は報告書や連絡事項も全部英語でやっていたので、拙いながらも英語で仕事をすることのなんたるかを身に着けることの一助になっていたように思う。

当時、僕の周りにはすでに何人か歳上の在宅翻訳者の知り合いがいた。今でも続けている人もいるし、そうでない人もいる。高校時代にすでに翻訳という仕事には興味を抱いていたのもあって、そういう人たちから翻訳にまつわる話をいろいろ聞いていた。かなりリアルな話も聞いていたため、自分に翻訳という仕事など務まるわけはないと思っていたし、ましてや自分には翻訳ができるほどの英語力も日本語力も持ち合わせていないと思っていた。なので、その求人広告にあった「翻訳」という文字を見ても、さして興味を持たなかった。でも軽い気持ちで受けた面接で「特技は?」と聞かれ、「英語を少々」などとカッコつけて言ってしまったことが後々今の仕事につながっているわけで、人生何がきっかけになるのかわからない。

結局その面接での「英語」が決め手となったらしく、そこに入社することが決まった。面接後に初めて会った社長は、もともと大手通信会社で技術部長をしていた人で、かなり変わっていて変人も変人だった。どんな難しいタスクでも、とにかくやらせるっていうタイプの人で、失敗したところで怒りはしないものの、冷静に何が悪かったのか、何が失敗を引き起こしたのかを一緒に考え、解決策を考えさせるというアプローチだった。これだけだとその変人ぶりがまったく伝わらないだろうけど、この一緒に考えるプロセスがものすごい緻密でしつこい。どう考えても無理だろうというタスクでも、とりあえずやらせてその後で何が足りないかを考えさせるという、現場主義で実践主義みたいな人だ。とにかく自分の会社の翻訳部門に、どこの馬の骨ともわからないようなずぶの素人を使ってみるという時点で、相当の変人であるということがわかろうかと思う。でもその社長が、結局この道における最初の僕の師匠となった。というのも、入社後半年でプログラミングに向いていないということが判明したか、翻訳のほうが忙しくなったのか、「そういや英語得意って言ってたよね。じゃ、翻訳やって」という社長の鶴の一声で、翻訳部門への異動が決まったからだ。翻訳部門と言っても、それまではその社長が今で言う発注者と翻訳者・チェッカー等のコーディネート、プロジェクトマネジメント、そして納品前校正と納品、その他すべてをやっていたので、まずは社長の補佐という感じで仕事に入っていった。そこからは、お客さんとのやり取りからプロジェクトの管理方法、実際の翻訳業務にクレーム処理やお客さんから指摘されたミスの捌き方、翻訳の品質管理や校正・クロスチェックなど、とにかく翻訳業に必要なものをすべて実際の業務で触れていき、まさにOJTで身に着けていった。

社長はのっけからどんどん仕事を振ってくる。その全部が自分の能力やキャパシティを遥かに越えているだろうと思われる代物ばかりで。それまで英語を勉強して仕事でも使っていてある程度持っていた英語に対する自信は、一番最初の翻訳案件で粉々に砕け散って砂のごとく風に吹かれて散っていった。訳了後に訳文をチェックした社長の言葉、「君、本当に英語できないね、ひどい英文。これは困っちゃうな頑張ってもらわないと」という背筋の凍る一言。そしてその社長チェック後にかけてもらった校正者の大文字満載メール。残ったのはどれだけ自分ができないかという言葉では言い表せないやるせない気持ちと自己嫌悪感、そして目の前に立ちはだかるとてつもなく高い壁。挫折どこの話じゃなかった(笑)。その最初の訳文を今見てるんだけど、まあそれはそれはたしかに本当に頭に来る英文ではある…一発ぶん殴ったくらいじゃ済まないくらいのひどいもの。

でも感謝すべきなのは、社長がそこで僕をクビにしなかったことだ。「とにかく早く腕をあげてがんばってね。でないとこっちがくたびれる」と言うのが口癖になっていた社長は、とにかくガンガン仕事を割り振ってきた。無我夢中でこなすうちに、少しずつ「翻訳の目」や「調べ物のキモ」のようなものが鍛えられてきた。いろいろあったし学んだ。端折るけど。そのうちまた書くかもしれないけど。

そう、そしてその校正者先生が英国はOxfordに在住の件の英国人校正者というわけだ。本当にさんざんお世話になった先生。お世話になったと言っても、こっちが一方的に迷惑をかけたというか、とにかく至らない稚拙な英文ばかり量産する自分に、いつも大文字だらけのブチ切れメールを返してくれていた。どんなに頑張っても、返信の件名はいつも”TO MR. NIGHTMARE”だった。察するにまあ「悪夢としか言いようのない英文を送ってくる奴」みたいな。校正済みの訳文ファイル中、ん?このあたりは校正されてない…てことはOKなのか?と思いきや、パラグラフの最後に”THIS PARAGRAPH IS SO UNCLEAR, CAN’T UNDERSTAND WHAT THE WRITER WANTS TO SAY, SO I DIDN’T CHANGE ANYTHING”と赤字で無情なコメント。とまあいつも怒っている感じの大文字コメなんですよ、この先生。でも校正されている部分はもう唸るしかない流れるような流麗な英文。自分にこんな英文が書けるようになるんだろうかと途方に暮れたものだった。今もか。

一度だけその先生に質問をしたことがある。冠詞の感覚を身に着けるにはどうすればいいですか?と。そして返ってきた答えがたったの一行だけ。

To save my time, I reply to you with the following sentence: “The White House is a white house.”

この回答を受け取ったとき、面食らいまくってしばらくモニタの前で固まった。そしてこのセンテンスで彼女が何を言いたかったのかを理解するための長い旅が始まったと同時に、冠詞を巡るめくるめく迷宮に入りこんだ。とにかく来る日も来る日も冠詞と英語の名詞にまつわるコンセプト、加算・不可算の考え方を、何冊もの冠詞本を読んで冠詞の感覚を身に着けようと頑張った。そしてそんなある日、ふと気づいた。

あなたも私もみんな知っている「あの」ホワイトハウスとして特定されている建造物ってのは、とある一件の白い家なのよね。

その瞬間に、あ、そういうことなのか、と腑に落ちた。腑に落ちたと同時に彼女に感謝した。そうか、この感覚か、と。冠詞の質問に対して「To save my time」とか言って一行だけ返してくる英国人気質っぽい何かもわかって、かつ、それまで山のように受け取っていた大文字メール一つ一つが彼女の教えのように思えてきたのもある。それまでは、何というか、教えとかいうより、いかに大文字メールが送られないように頑張るか、そんなことばかりに気を取られていた。でもこれを機に、彼女のすべての校正を過去のものも含めて全部「写経」して、これぞと思ったフレーズや文法テクニックはノートに書き留めておいた。そのノートをいまだにめくったりする。そんなお会いしたこともない、いつもメールだけでやり取りをしていた彼女には感謝してもしきれない。冠詞の感覚がふわっと理解できるようになったのは先生のおかげです。本当にありがとうございます。

そしてある時の案件。いつもの通り彼女の校正完了メールを見てしばし止まった。

“I could read and understand each sentence. But don’t get me wrong. You MUST keep on improving your skills.”

社長からも「ちょっとは読めるようになったようで。まあこの調子でもっともっと上達してください。でないと君は独り立ちできません」とメールが来たのを覚えている。まあこれでタタカイが終わったわけじゃなくて、依然としてガンガンしごかれたんだけど、ある時から仕事量が増えて次第に先生に校正を依頼することが少なくなった。先生も少し仕事を減らしたかったってのもあったみたいで。そして様々な紆余曲折を経て個人翻訳者となっている今は個人的な知り合いのパートナーたちと仕事をしている。社長とは今も仕事関係で続いている。頭は上がりません。

そんな彼女の調子が最近悪いという。もうだいぶお年だろうと思う。「もうこんなわけわかんない英文の校正さっさと終わらせて、わたしゃテニスで思いっきりボールを打ちまくってくる!」っていうメールを懐かしく思い出す。先生のお陰で今でも何とかこの仕事を続けている。でも時折自分の至らなさに自己嫌悪に陥る。ミスが重なることも(本来ダメなんだけど)。そんなときは、この頃のこと、この頃の気持ちを思い出すと自分の取るべき道が見えて来たりする。

そんなことを思った。

OJTに関しては、お客様から教わったこともとても多い。本当にいろんなことを教わった。印象深いお客様が1人いらっしゃる。そのうち書くかも。

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2 thoughts on “OJTの思い出”

  1. こんばんは。
    わたしも院生の時に翻訳のバイトしようとしたら「君は論文が読めないようだね」と明るく先生に言われた覚えがあります。そのころ訳したボロボロのものはまだとってあります。
    transniperさんのような千本ノックは多少受けたことがありますが、わたしは過去に実験の指導でいやな目に遭っていて、教えてくれる方の個性がきついと特に受け入れられないようです。
    いまこんな本を読んでいるんですが、ここにはそういうひたすら直されて……ってのが出てきますね。今はあんまりやらないんだろうなあ。買って4年たってやっと読んでいます。
    プロが教える技術翻訳のスキル (KS語学専門書) 時國 滋夫 他
    https://www.amazon.co.jp/dp/4061556223/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_Uu-Vzb3PDHE6X

    1. コメントありがとうございます。
      この本、読んでみようと思いつつまだ入手してませんでした。
      これを機にポチってみようと思います。

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